---自殺をしようと思った俺がアダルトグッズショップの店長になるまでの話。

自殺をしようと思った俺がアダルトグッズショップの店長になるまでの話。

突然ですがピンクザウルス1号店の店長こと高木は重度の内部障害者だったりします。

 

 

 

 

内部障害、つまりは体の内側の障害。
障害手帳の障害名でいうと「疾病における自己の身辺の日常生活活動が極度に制限されるぼうこう・直腸機能障害」。

※高木の障害者手帳実物

なぜそんな内部障害を抱えることになったのかというと、今から30年前の小学3年生の頃に「クローン病」という腸の病気を発症したことが要因です。

 

 

なぜ突然こんな話をしはじめたかというと、今年に入って身近な人が事故で命を落としかけて、命のはかなさというのを改めて感じたんですね。

そして自分の人生も踏まえて色んな想いに駆られて、なんかこう語りたくなったんです笑
自己紹介にもなるし!みたいな!\\└(‘ω’)┘////

 

 

昨日まで元気だった人が明日亡くなったり、一緒に遊んでじゃあまたなと別れを告げた相手が数分後に交通事故で命を落としたりっていうことは誰にいつ起こってもまったく不思議ではない。

私も持病が原因で死ぬ一歩手前まで体がぐちゃぐちゃになったり、なんとか助かった後も肉体的な苦痛があまりにも酷過ぎて心が崩壊して、自ら命を絶とうとしたこともあります。

 

 

 

そんなことがありつつも、今こうやって生きていて本当に良かったと心から思うんですね。あのとき死ななくてよかったー!と。
あのときは死にたい、というかこの世から消えたいということばかり考えていたのに。

 

というわけで高木の過去を振り返りながら現在に至るまでのちょっとした自伝的なブログをざっくりですが話していきたいと思います。ゲロゲロに長編ですよ!!(∩。・o・。)⊃━.゚☆。’`

※身体における非常に痛々しい表現があります。ご注意ください。

 

 

 

 

心に絶望しかなかった学生時代

小学3年生でクローン病発症という話をしましたが、発症する前はどこにでもまあ普通の子供らしい子供でした。むしろ超健康優良児。
しかし、ある日から急に体調がおかしくなっていく。

 

頻繁に起こる腹痛、そして止まらない下血、発熱・貧血症状。
病院を3件ほどかかってそれぞれ診察してもらっても医者の診断は全て「風邪」とか「よくわからない」とか「とりあえず様子を見てみましょう」

 

いやなんで風邪なんかで下血すんねん!!!アホかと!!!!とりあえず様子~て 様子見てアカンかったから診てもらいにきとんねんこっちは!!!!!と高木のマッマとパッパは激おこ。

 

 

そして当時の担任の先生に紹介してもらった市内で一番でかい紹介制の病院にかかり、そこでやっと「これは風邪じゃないですよ」と診断される。
そのまま即日入院。9歳にして人生初の入院にワイ、ビビる

 

入院し、点滴やら絶食やら精密検査やらなんやかんやで1カ月経つ。色々苦しいこと寂しいこと痛いこと目白押し。

まあでもこれだけ嫌な思いして頑張ってんねんからこの具合悪いのとももうすぐでおさらばや、、!!となんとか前向きに考えようとしていた矢先、
「大事なお話があります」と主治医の先生から親同伴で個室に呼ばれる。

 

 

そこで告げられた内容は

 

・病名は「クローン病」であること
・もう少し入院は長引きます
・この病気は、

 

 

現代の医学では治すことができない病気です

 

 

 

発症のメカニズムもわかっていない。状態を緩和される方法は少しずつわかってきているが、完治させることはできない。
もしかしたら10年先、20年先の未来に画期的な治療法が判明するかもしれない。しかし、現時点では

 

一生この病気と付き合っていくことを覚悟してください

 

 

と告げられる

 

 

 

 

お話は終わり、おかんと病室への帰り道。

色々な事を説明されたわけだが、やはり9歳なもんであまり事の重大さがよくわかってなかった。

お?お、おう、、、そうなんか、、、みたいな感じ。だから言われてめっちゃ落ち込んだとかショックとか全然なかった。ホント理解できてなかった。

 

 

 

ただ、

 

 

帰り道の途中に、おかんが急に人通りの少ないせまっこい通路に入っていった。

 

 

あれ?おかん そっち病室ちゃうよ?と不思議に思い おかんに近寄ると

 

 

 

 

おかんがめっちゃ泣きはじめた。

 

 

 

声こそ出しては無いけど、涙ボロッボロ。

 

 

多分だけど、やっぱり母親としては自分の子供がそんな一生治らないような病気になってしまったというショックがでかかったんだろう

 

 

具合悪くなってからずっと一番近くで、お腹痛い痛いって毎日苦しんでる俺の姿とか下血の血を見ておびえてる俺の姿とか色々見てきてて

 

自分の子供が苦しんでるのに自分は助けてあげれないもどかしさとか心配とか不安とかおかんなりに色々あって

 

そんでちゃんとした病院で入院して、やっとまともに回復に向かっていくだろう

よかったよかったとちょっと安堵していたところに「一生治らない病気です」通告

 

 

 

俺自身は、通告されてなんのこっちゃよくわからなかった。
ショックなんてこともなかったんだけど

 

 

今まで自分の母親がこんなに涙流して泣いてるところなんて見たことなかったし、

 

なんか、こんなに泣かせてしまってるのは俺がこんな具合悪くなっちゃったせいだなって思ったら

めちゃめちゃ申し訳なくなってしまった

 

 

でも俺は、泣いてるおかんの背中さすりながら、「ごめんね」ってあやまるくらいしかできなかった

 

 

地獄の学校生活、始まる

なんとか体調が安定してきたので、退院。
久しぶりに学校生活が始まる。

 

すると、クラスメイトの俺に対する接し方がかなり変わっていた。

 

 

まず、休み時間に遊びに誘われなくなる。

 

 

今の子供たちの遊び方はわからないけど当時の小学生なんて休み時間になったらキックベースとかドッジボールとか意味もなく校庭を走り回って追いかけっことかとにかく体力勝負というか体を思い切り使う遊びばかりだった。

 

だから、病気の俺を誘って遊んでるうちになんかあったらこわいとか、あと実際体育の授業とかで何かしらチームを組んで遊んだとしてもすぐ貧血状態に陥って体力が続かない、ようは「一緒に遊ぶとめんどくさいやつ」っていうポジションになってしまっていた

 

 

 

どんどんクラス内で孤立していく俺。
そこで体力なんかじゃなくてトークとか明るいキャラを押し出してみんなの輪にアグレッシブに入っていく…とかできればよかったんだけど、元々陰キャ性質だったのが災いして全く自分から飛び込むことはできなかった_(:3 」∠)_

 

学校に行くのがどんどん苦痛になってきていた頃、さらにショックなことがあった。
腸の病気が故に、大をもよおす回数が尋常じゃなく多い。ストレスを感じるとすぐに腹痛、もよおす。

しかし当時学校のトイレで大をすることはものすごい恥ずかしく、ダサく、バカにされるという風潮があった。
なので、体の限界まで我慢はする、我慢はするが…ある日の掃除時間、完全に限界を通り越しとうとうトイレで大をすることに。

 

トイレに入ると、そこにはそのトイレ掃除当番の上級生たちの姿が。
ビクッ!となりつつもそそくさと大に入る。すると

 

「うわこいつうんこするぞ!!」
「きもちわる!!水ぶっかけてながそうぜ!」
「超めいわくじゃんこいつ」

 

そんなあざけわらう声が聞こえてきたと思ったら、上からホースかなんかで発射されたであろう水が思い切り流れ込んできた。

そんなことがあっても、誰に言いつけるわけでもなく、ただただ自分の存在そのものがみじめに感じて自分で自分を追い込んでいく。

 

 

気づくと、人の目を見て喋れなくなっていた。
家族以外の人間におびえるようになっていった。
誰かに見られる度に、自分のことを汚いと思って見ているのではないかと。存在すること自体迷惑だと思っているのではないかと。

 

 

 

小学校は入退院を繰り返しつつもなんとか通学し卒業するも、中学に入学して間もなくして完全に不登校児になった。

 

病状が悪化して通学するだけでヘトヘトになるほど体力が低下していてつらいということもあったが、それ以上に人が、集団が怖くて通いたくなかった。
特に何もしていないのに、自分の机にめちゃめちゃな悪口を書かれていたこともあったり。とにかく、怖かった。

 

 

 

死を覚悟した瞬間…腸が破れ、緊急手術

結局ほぼ不登校のまま、中学を無理矢理卒業。

 

 

卒業後は家業のアダルトグッズ製作(メーカー&卸し)業を手伝い始める。
社長である父親に付いて、ひたすら製作所勤務・作業・発送の毎日。

 

 

 

しかしその間も病は体をむしばんでいく。21歳になるころには自力ではどうすることもできないほどに病状が悪化、下血が止まらない為死ぬレベルの貧血状態に陥り入院。輸血、高栄養点滴、絶食約1年。一生病院から抜け出せない気がしていた。

 

 

そして、内科的治療ではもうどうにもならないレベルに陥り、手術が決定。

 

県内で一番有名な大学病院に転院。しかし重病な患者は山ほどいるらしく、手術の順番待ちということで1カ月ほどただただ安静に時間を過ごすだけの日々が経過していった。

 

 

そんな矢先、とうとう限界が超えてしまった瞬間が来た。

 

 

ある日の夜、何かやけに腹の不快感が強い。まるで腹の内側に重みのある風船があるような腹部の張り。

 

しかしこんな日もあるだろうと気にせずに時間は21時をまわり院内は消灯。就寝しようとした矢先に…

 

 

 

 

 

ブチッ

 

 

 

 

 

 

 

何かが破れるような音が腹の中から聞こえたと同時に内側から振動が伝わる。

 

 

??なんだ今のは??そう思った数秒後に地獄のような痛みが腹の内部を襲い始める

 

 

例えるなら、傷ついている腹の内側の部分を切れ味の悪いナイフで削られたり突き刺されたりされているような。

 

 

そして絶対に流れ出てはいけない何かが絶対に流れ出てはいけない部分にどんどんと漏れ出している感覚

 

 

全身に鳥肌が立つような恐怖感と叫び声を上げずにはいられないほどの苦しさ、痛み

 

 

ナースコールのボタンをなんとか押すが、それ以外もうただ叫ぶしかできない。

 

 

院内に響き渡る苦しみの絶叫。

 

看護師さんが駆け付け、そのままベッドごと手術室へ搬送されていく。

 

 

 

痛みはさらに増していって、でもだんだん意識が遠のいていきながら俺は思った

 

 

 

 

 

俺はきっと、このまま死ぬな

 

 

 

 

そして記憶は、途切れた。

人生で一番、泣いた日

 

緊急手術中、両親も病院に駆けつける。あとから聞いた話だが医師から説明を受けた時に

 

 

「手は尽くしますが、覚悟はなさっておいてください」

と、助からない可能性も十分にあることを告げられていたらしい。

 

しかし約10時間に及ぶ大手術により、何とか一命をとりとめることができた。

 

 

 

手術をした直後は集中治療室に2週間。しかしその2週間の記憶は俺には全く無い。

俺自身の意識が戻った瞬間は既に大部屋にいた。
あれ、、まだ生きてる、、??死ななかったんだ、、ということは認識できた。

 

しかし、自分の身体の状態を理解したとき大きなショックを受けた。

 

 

まず手術前に何が起きたのかというと腹は腸閉塞を起こしており、通常は体外へ排出されるべき腸液などがその閉塞部分にどんどん溜まり、腸は風船のように膨らみ続け限界を超えた結果、空気を入れ続けた風船に穴が開いて破裂するように俺の腸に穴が空いた。

 

そして内容物がすべて体のうちがわに溢れ出し、重篤な腹膜炎を起こしていた。

 

 

その結果 腹部の4か所にそれぞれ4本ずつ、計16本の管が埋め込まれていて ストマと呼ばれる人工肛門も設置されていた。

 

 

顔にはよくドラマで死にかけの人が装着している酸素マスク。両手両足の先端には脈拍みたいなものを測るための機械が挟み込まれ、腹部には大きなガーゼが当てがわれており、それをめくると皮膚が切り裂かれたままの状態。腹膜炎を起こした状態で縫合することはできないらしい。
周りを見渡すと心臓の鼓動をピッピッて計測する心電図やらなにやら機械だらけ。

 

さらにちょっとあとになって気づいたのだが、両足、とくに左足が完全に麻痺している。話を聞くと手術時の全身麻酔の副作用で神経に異常をきたし、何をどうやっても自分で動かすことはできなくなっていた。

 

 

 

そんなボロボロの状態でも、自分は生きている。

 

朦朧としていた意識が毎日少しずつハッキリと戻ってくる頃、まざまざと地獄の現実に直面させられていった。

 

 

自分一人では寝返りを打つことすらできない。足も動かせない。

 

そして毎日3回、開かれている腹部の消毒。消毒液を綿のようなものに染み込ませたもので念入りにグリグリとこすりつけられるので声を上げずにはいられないくらい毎回激痛。

 

 

体中あちこちの管からは悪い内容物が染み出したり漏れ出したりで皮膚がびらん状態に陥り、漏れ出す度ひどいときには1日16回くらい装具の張替え、痛い消毒を行われるのでこれも地獄。

 

 

 

毎日が激痛。苦しい。毎秒がつらい。楽しいことなど何一つも無い。

 

 

この先も生き続けたいという気力もなければ希望も全く見えない。絶望と苦痛しかない。

 

 

そんな日々が数カ月続くと、心は死ぬ。

 

 

なぜ、こんなにつらいのに生きていなければならないのか。

 

 

なぜ、こんなボロボロな体でまだ俺は生きている?

 

 

 

 

何のために俺は生きているんだ?

 

 

 

 

俺の心の中の何かが完全に崩壊してしまって、とうとう耐え切れなくなって巡回に来た看護師さんにこう話しかけた

 

 

 

 

 

「もう死にたいです。」

 

 

 

 

自分が、今なんの為に生きているのかがわからない。

 

 

生きていることが苦痛でしかない。

 

 

こんなに苦しいことばかりなのに、それでもどうして生きていなければいけない?

 

 

思えば病気になってから何一ついいことなんて無い

 

 

俺は生きている限りずっと家族に、誰かに苦労を迷惑をかけ続ける

 

 

 

俺がこの世に生きている価値なんて何一つも無いと思うんです

 

 

もうつかれたし、つらい。

 

 

 

 

 

死なせてください。

 

 

 

 

ただただ、もう生きていたくないという事を看護師さんに伝えた。

 

 

 

 

もう、つかれたよ

そして、生まれ変わる

 

 

そして数日後、なかなか仕事で見舞いに来れなかった両親が見舞いにやってきた。

 

俺の精神状態を危惧して、きっと病院から連絡がいったんだろう。

 

 

 

もうこの世から消える事しか頭に無い俺だが、やはり両親に対しては本当に申し訳ない思いでいっぱいだった。
だって、世の中には他にいくらでも健康な子供がいて親孝行もしているというのに、俺は病気のことで心配や迷惑や苦労をかけっぱなしだったのだから。

 

ちゃんと謝らないといけないって思いがあって。親に伝えた。

 

 

 

 

 

 

生まれてきてごめんね。

 

 

 

 

 

俺みたいなやつを子供として授かってしまったばっかりに、面倒なことばかり巻き込んでしまって。

 

 

迷惑ばかりかけてしまって。

 

 

 

 

俺なんて死んだ方がいいよね

 

 

 

 

本当にごめんなさい

 

 

 

 

 

 

 

もう感情もうつろだったけど、たどたどしかったけど、そうして両親に謝った。

 

 

 

両親は黙って俺の話を全部聞いた後、まず母親が口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「迷惑だなんてこれまで一度も思ったことはないよ。」

 

 

 

 

 

あの緊急手術の時、もうこの子は助からないかもしれないって思った。けど、助かってくれた。生きていてくれた。

 

 

どんな体であろうと、生きてさえいてくれたら。

生きてさえいてくれたら、本当に嬉しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

そして、父親も続いて話し出す。

 

 

 

 

 

 

迷惑だなんてそんなこと思うわけがない。

 

むしろ、俺のほうがお前に対して申し訳ない思いでいっぱいだった。

俺たちの子供として生まれてしまったから、この子はこんな病気になってしまったんじゃないかって。

お前がいろんなつらい思いをして生きることになってしまったのは全部俺のせいではないかって。

 

 

緊急手術の時も、このまま死んでしまったら俺は父親として悔やんでも悔やみきれない。

親より子供の方が先に死ぬなんてこんなに悲しいことはない。

この子はまだこんな若いのに、人生の半分以上を楽しいことよりも苦しいことばかり経験してきた。

 

一日でも医学が進歩してしっかり元気になって、そしたら今までの人生全部取り返すくらい楽しいことや幸せな事を経験してほしい。その為だったら俺は何でもする。だからどうか、うちの子供を助けてくれ!って俺は先生にお願いしたんだよ

 

 

迷惑をかけたとか。いなくなった方がいいとか。そんなことは考えなくていい。そんなこと思ったことも無い。
だから、今は一日一日ゆっくりでいいから、元気になっていくことだけを考えなさい。

 

 

 

 

 

 

両親からそんな言葉を言われて、

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ泣いた。

 

 

 

 

 

こんなどうしようもないボロボロな俺に。そんな風に言ってもらえるなんて。

 

 

 

 

涙が、ほんと止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

それから、俺の中で何かが切り替わった。

 

 

 

一回死んだつもりで、考え方とか。生き方とか。思いっきり変えてみようと。

 

 

親には感謝しかない。それに俺の命を助けてくれた人たちにも。俺なんかを助けてもらったこの感謝を忘れちゃいけない。

こうやって生きていられることを無駄にしてはいけない。

 

 

 

これまで心配や迷惑たくさんかけたと思うのであれば、これから思いっきり元気になって安心してもらって、色んな事で恩返ししていけばいい。

そして俺自身が思いっきり人生を楽しく生きなければ。

 

いつ死んでもおかしくないからこそ、後悔のない生き方をしよう。

 

 

 

 

 

きっと、一生分泣いたんちゃうかっていうくらい咽び泣いたから、俺の中のどろどろしたものが涙と一緒に流れ出ていったんだと思う。笑

 

 

とにかく、その出来事があって以来 俺の人生は変わりました。

 

 

 

結局なんとか日常生活を送れるくらいの体に戻るには1年半くらいかかったけど、そこからは本当にもう、人生が一変した。

 

人の目をちゃんと見て話せるようになったし、引きこもりはどこ行ったっていうくらい行動力が出た。

根本の考え方とか物事に対しての捉え方を変えるだけでこんなに人生変わるものなのかと。笑

 

 

一生彼女なんてできないだろうしセックスしないまま人生終わるんだろうなって思ってたのに、そのあと彼女もできたし、セックスもたくさんしたし、一回結婚もしたし。

 

 

そうしていくうちに新しい薬が開発されて、病状もさらに安定。体力はそんな無いしトイレに行く回数こそ多いものの、元気印で働きまくれるくらいの体になれた。

 

 

何事も経験っていうことで社会の表の世界も裏の世界も飛び込んでみたり、なんやかんやで今こうして地元の千葉から巣立って、名古屋の老舗アダルトグッズショップの店長をやることに。
いやほんと、夏に近所のコンビニに歩きにいくだけで脱水症状起こして救急車で運ばれていた貧弱な俺はどこに行ったっていうくらい、活発に動いてます!!

 

 

 

 

俺の人生ってまずどん底のところから始まっているので幸福を感じる沸点が人よりもめちゃくちゃ低いんですね。
ちょっとしたことで楽しいなあ、ありがたいなあって思っちゃう。

アダルト業界って結構一般の人たちからすると変な目で見られたり下に見られたりしがちなんですが、俺は誇りをもってこの仕事をしています。
俺を拾ってくれた社長には恩義を感じているんで、その恩を返せるように高い目標を掲げて毎日奮闘しています。

 

 

そしてそれだけじゃなくて、俺自身もたくさん夢や目標がある。今年はそっちの方の実現に向けて水面下で色々動いています。
高木に注目しつづけてくれてたら数年先にはきっと楽しい世界を見てもらうことができると思います!

 

 

 

そんなわけで、きっとアダルト業界の中で日本で一番長いブログを書いたんちゃうかという気がしますし、こうやって中の人間の「個」を際立たせていくスタイルのアダルトグッズショップって少ないと思うので、ピンクザウルスの高木はこういうやつやったんかと記憶の片隅にとどめていただいたり、またなんか変なことしとるなこいつ!と思っていただけたらとてもうれしいです。平穏よりも爪痕爪痕!!

 

 

 

 

人生は本当に一日先、数秒先何が起こるかわかりません。
だからこそ、楽しいことは思いっきり楽しみ、興味あることには偏見なくどんどん突っ込み、大好きな人には好き!!と伝え、そしてエロいこともたくさんして悔いのない人生を歩んでいきましょう!!

そのエロいことをよりもっとエロく!そして満足いく楽しさを得れるように、ピンクザウルスは貴方をサポートさせていただきます!!

 

 

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

2019-01-30T01:35:33+00:00 2019/01/30|Categories: ブログ, 則武店ブログ|